自己紹介
どうも真井良幸(さないよしゆき)です。
このページでは、もう少し詳しく自己紹介したいと思います。
自己開示は好きな方ではないですが、「こんなヤツなんだ」とわかっていただけた方が良いと思うので赤裸々に書くことにしました。
少し長いですが、物語風ですんなり読んでいただけるかと思うので、お付き合いいただけたらうれしいです。
wombase
プロフィール
真井良幸YOSHIYUKI SANAI

自分の価値観で生きることが
最強のマーケティングになる
wombase株式会社代表(現在14期目)。愛知県長久手市出身。横浜在住。
スマホもYouTubeもFacebookも普及していない黎明期の2011年からWebマーケティングの専門家として活動。
カフェ、旅先、カフェ、公園、キャンプ場など好きな場所をオフィスにしながら、ノートPC1つで、信頼できるお客さんとだけ、自分のペースで仕事をしている。
「自分の価値観で生きることが最強のマーケティングになる」
価値観を大切にする起業家に人生を自由にデザインできる力を伝え、ロマンあふれる人生を送る人を一人でも増やしたいと国内外を飛び回りながら1,000名以上の起業家をサポート。
累計20億円以上の売上に貢献し、LINE登録数は3万人を超える。
ママのための無料ビジネスセミナー、子どものためのドームを貸し切っての無料運動会主催、途上国の学校設立支援などのボランティア活動も行う。
旅・自然・アクティビティ好きで、世界一周の旅をしながら仕事をしている。無類の猫好き。
ストーリー
どうも真井良幸(さないよしゆき)です。
このページでは、もう少し詳しく自己紹介したいと思います。
自己開示は好きな方ではないですが、「こんなヤツなんだ」とわかっていただけた方が良いと思うので赤裸々に書くことにしました。
少し長いですが、物語風ですんなり読んでいただけるかと思うので、お付き合いいただけたらうれしいです。
僕を一言であらわすなら、大きな野望もない、典型的なTHE・凡人。
貧乏でも金持ちでもない、弁当屋をやっているごくごく普通の家で育ちました。

大きな野望や目標もない人間でしたけど、たった一つだけ絶対に実現したかった理想があります。
「価値観を大事にして自分らしく生きる」
ということ。
強いこだわりもなく、人と揉めることも嫌いな人間なんですが、そこだけは異常に頑固でした。
僕は子どもの頃、偏食が激しかったんですね。
小学校の6年間は、皆が午後の授業を受けている間も、ずっと教室の隅で給食を食べきるまで残されていました。
クラスに一人はいるパターンの子どもですね。
先生には
「ワガママ言うな!」
「栄養があるから食べなさい!」
と言われ続けましたが、僕はずっと納得ができませんでした。
「先生は美味しいと思って食べてるんですよね?僕は食べると吐きそうになるんです。先生だって吐きそうになってまで食べないはずだし、味覚の違いなだけで僕がワガママだっていうのはおかしい!」
と言ったことがあります。
2秒後にビンタが飛んできました。
それ以外にも、体罰的なものとか体罰的なものとか体罰的なものとか色々ありましたが(時代ですね)、そういう地獄みたいな6年間を過ごしたのが、きっと「理不尽に縛られたくない」という価値観を育てたのだと思います。
大学の就職活動の時には、こんなこともありました。
この時代は超就職氷河期で、30社受けて1社も受からないのが当たり前の時代。
前髪が眉毛にかかってた時点で、もう絶対に採用されません。中学生かよっていう。
就活生の分際でシュッとしたスーツもNGの時代。おぞましかった・・・。
僕は機械系の学科だったので、就職先は設計やメーカー関連の会社を選ぶのが一般的です。
でもメーカー系って転勤が多いんです。実際、大学時代の同級生は、海外転勤をしている人も何人もいます。
「自分が住む場所を、他人に決められるなんて意味不明」
と思っていた僕は、転勤がほとんどないシステム系会社ばかり面接を受けていました。
とうぜん就職活動は苦戦。
大学の就職課に呼びだされ、就職課の職員と研究室の教授に囲まれての面談をすることになります。
教授どういう会社を受けているの?
システム系です
教授なんで?
住む場所は自分で決めたいからです
教授そんなんで選んでいるから決まらないんだよ!
驚きました。
もちろん、親身になって言ってくれたのはあるとは思います。
でも、価値観は人それぞれ絶対に違うはず。
一方的に価値観を押し付けられるのは、本当に理解できませんでした。
「僕の人生なんで僕の価値観で決めます」
こう言ったら2秒後にブチギレされました。さすがにビンタはされませんでしたが。
僕は不思議でしょうがなかったです。
「自分の責任で自分の価値観を優先した生き方を選んでいるのに、なぜ文句を言われる?」と。
厨二病かよって感じなのかもしれませんが、今でもまったく同じことを思っています。
その後、なんとかシステム系の会社に就職できました。
その会社を選んだ理由は、パンフレットに宇宙に関するロボットの仕事が載っていたから。
それを見た僕はすごくワクワクをして「かっちょいい!こんな仕事がしたい!」と思って入社をしました。
ところが、配属されたのは自動車の生産管理システムのチーム。
「まぁ最初は仕方ないか」と思ったんですが、将来の目標や部署希望のヒアリングをされたわけでもないですし、むしろ会社のほとんどの人がその部署だったんですよね。
なので、ある日先輩に
「将来はロボット系のプログラムやりたいんですけど、その部署とかはどんなことをやってるんですか?」
と聞いたんですが、回答はこうでした。
「うちの会社は、そんな仕事ほとんどないよ」
絶望でした。
よく「3年は我慢して働きなさい」なんて言われる時代です。
たしかに、我慢が必要な時もあるし、やり続けたら変わるかもしれないので、それも一理あると思います。
でも、当時の僕はピチピチの23歳。
やりたくないこと、そして「かなりの高い確率」でやりたいと思えるようにはならないだろうことに、3年どころか1ヶ月でも使うのは人生の大損失だと思っていました。
なので、すぐに辞めました。4月入社で5月退社です。
これも「価値観に合わないものを捨てる」という決断でした。
この後も、僕は同じことを何度も繰り返すことになるのですが・・・。
最初は、宇宙やロボットに関係するシステム会社に再就職しようと思っていました。
でも、ちょうど同じタイミングで、その考えを変える「ある出来事」がおきます。
プルルルル・・・
ちょうど誕生日の夜に、母親から一本の電話。
「良い年なんだから、お祝いなんていらねー」
と思って電話を取ったんですが、内容は僕が予測していたものとまったく違うものでした。
「自己破産して離婚することになったから・・・」
想像していた内容と真逆すぎて一瞬パニックになりました。お祝いされると思ってましたからね。
「え!うちってそんなにキツかったの!?」
ショックというよりも、これが素直な感想でした。
大学にも普通に通わせてもらっていたし、仕送りももらっていました。
幼少期から、裕福だとは思っていませんでしたけど、貧しいって感じたこともありませんでした。
だから、そんな状況をまったく察することができていなかったんですね。まったく情けない話です。
姉と僕が大学を卒業して社会人になるまでは、必死で隠していたんだと思います。父親と母親には本当に頭が下がるし、今でも尊敬しています
上京するまでの18年間生まれ育った家も売られることに。
母家にある漫画どうする?
置くところないから捨てていいよ
こんな話をしたことを、今でも鮮明に覚えています。
こうして僕の愛読書「ついでにとんちんかん」「魁!男塾」「キン肉マン」をはじめとした小学生から集め続けてきた漫画コレクション500冊は処分されました。
今、母親は元実家の隣町で一人暮らしをしています。僕が帰省する場所はここ。
自分が育っていない見知らぬ家なので、帰省しても他人の家にいるような居心地の悪さをいまだに感じます。
そうそう、数年前に帰省した時に、ふと自分が育った家を見たくなり、車で行ったことがあります。
育った想い出の土地には、まったく見知らぬ家が建ってました。
10年以上経っているので、まあ当たり前ですが。少し切なくなりましたね。
それがキッカケで、
「人生はいつ何があるかわからないのに、一生の仕事を今決めてしまって良いのか?」
と強く感じたんですね。
20代は失敗しまくっても良いから、色々なことをやって、色々なことを学んで、色々な世界を見て経験して、30歳で何をするかを最終的に決めるべきだと考えました。
大学を卒業させてくれた両親には悪いなとも思いましたが、「自分の責任でやるなら、好きに生きれば良いよ」と反対はされませんでした。
まあ事後報告だし、反対されても決断は変えるつもりはなかったんですが、そう言ってもらえたのはありがたかったですね。
この時に経験した仕事の一つが整体師。

資格情報誌の「ケイコとマナブ」を読んでいたら 「整体師ならベッド一つで自由に開業!」って書いてあったので、すぐにスクールに通います(ありがちですね)。
生活費と学費のために、週6で毎日12時間の昼夜交代制の工場で月300時間くらいバイトをして、この時に流行っていた猿のイラストのラムネ(ピ●キー)を鬼ほど作りまくりました。
整体の学校は、深夜のバイトから朝帰って、そのまま寝ずに通っていましたね。
大変は大変でしたけど、人の身体のことを知れるのは楽しいし、新しいことを学べるのは本当に刺激的でした。
整体師の時は店長も経験しました。
とにかくこの頃は超絶ビンボーです。週6勤務で手取りは13万円。
交通費も出なかったので、節約のためにバイクで毎日往復2時間半かけて神奈川から東京の高円寺というところに通勤をしていました。
国道246号線という道を通るんですが、神奈川と東京の幹線道路なのでトラックがビュンビュン飛ばしまくる道路です。
ヘトヘトだろうが雨の日だろうが毎日バイク通勤なので「いつか死ぬな・・・」って思いながら通勤してました。
それを見かねたオーナーが「引っ越し代を貸すから、引っ越してきなよ」と言ってくれたので、東京に引っ越すことに。
毎月2万円をオーナーに返済するので、手取りは11万円に減りました。

住んだアパートは超オンボロ。
4畳半で収納は天袋のみ。建物が歪んでいて、窓を開くことすらできません。
玄関には草木が生い茂っていて、友達からつけられた名前は「もののけの館」。
神奈川の時はライオンズマンションだったので、まぁすごい落差です。
でも、住んでいた高円寺は物価が安い街なので、それは助かりました。
とんねるずが若手の頃に通っていたハンバーグ屋があるんですけど、すごく安いんです。
ハンバーグ、目玉焼き、サラダ、ライス、味噌汁がついてなんと400円。ハンバーグは目の前のレンジでチンして出されますけど。
300円のラーメン屋もありました。100円でチャーハンがつけられるんです。ジャーから出てきますけど。
オーナーがお客さんを紹介してくれて、仕事後にアルバイトとして訪問で整体をやりに行ったこともありました。ストリップ劇場の楽屋ですけど。
とうぜん、遊ぶお金なんてありません。
週1回の休みは、古本屋で100円の本と缶コーヒーを買って、公園で一日中読書をして過ごしたり。
他人が聞くとなかなか悲惨な生活のように感じるかもしれませんが、僕自身はそんなに苦痛と感じていませんでした。
自分の意思で選んだ選択ですし、整体の仕事が気に入れば将来は独立して自分でやれると考えていたので、それなりの充実感もありました。
イヤイヤ会社に通う方が、僕にとっては何百倍も恐怖。
やっぱり「自分の価値観に沿った選択」が何よりも本当に大事なんだなと、この時あらためて実感します。
その後も数年かけて、いろいろな仕事をしたり勉強をしてきました。
当時はまだ数が少なかったWebデザイナーになろうとデザインの専門学校に通い、バナー作成の仕事をしていたこともあります。

こんな生活を数年過ごしていくうちに、自分の中で「ある結論」が見えてきました。
やりたいことなんて、いつ変わるかわからない。
やりたいことでも、人間関係や環境によっては嫌いになるかもしれない。
やりたいことでも、生活ができなければ続けられないかもしれない。
であれば・・・
「どんなビジネスでもどんな環境でも、価値観に沿った自分らしい生き方を自由に選べる力を身につけることが最強なんじゃないか?」
そう考えました。
つまりマーケティングです。
成功するための道具じゃなくて、自分らしく生きるための力。この結論が、僕の人生を決めました。
こうしてマーケティングを独学で勉強しはじめます。2004年頃のことですね。
当時は、コンサルタントですら「SEO」なんて言葉を知っている人は、ほとんどいないような時代でした。
スマホもなく、Facebookもほとんど認知もされていなくて、mixi全盛の時代ですからね。
今みたいに無料の情報もほとんどないので、お金を払って学ぶしかありません。
なんとかお金を貯めて、何万円もする教材を買ったり専門家に教えてもらって勉強してました。
さらに節約もしたし、貯金や遊びよりも勉強への投資を優先しました。
将来の自由のために、今頑張ることが大事だと思ったからです。
その後に縁があって、あるマーケティング会社で働くことになります。
なんとその日は偶然にも、僕が将来の方向性を決めるとリミットにしていた30歳の誕生日でした。
2つ年下の社長、そして僕を含めたアルバイト5人の合計6人のベンチャーです。
まだ月商数百万の小さな会社だったので、社員契約は一人もいないし日給でのアルバイトです。
収入は減りましたし、将来の保証って意味ではリスクは増えたかもしれません。
でも、僕はこの会社とこの業界に強いロマンを感じて、ワクワクしかなかったんです。
貧乏でもワクワクすることにチャレンジしたい。これも僕の価値観ですね。
社長がマーケティングマニアだったので、当時日本で販売されていたマーケティング教材はほとんどオフィスにありましたし、海外から最先端の情報を仕入れまくっていました。
社長もスタッフもみんなマーケティングが大好きだったので、いつも23時くらいまで残って情報交換や勉強しあったりもしていました。
少人数の会社なので、とにかく勉強と実践ラッシュでした。
最初はマーケティングのほぼ素人でしたが、こんなことを入社数ヶ月でガンガンやっていました。
最初は社員0人の会社でしたが、その後3年ほどでアルバイトやパートさんを含めて40〜50名以上、年商数億円近くまで成長。
僕たち初期メンバーも正社員として管理職を任され、一気に後輩や部下も増えました。
会社の方はどんどんと成長し、仕事の苦痛もなくやりがいもありました。
セミナーや交流会などに参加すると「もしかして●●の真井さんですか?」と言っていただけることも増えました。
職場のみんなの仲も良かったです。
なので、すごく楽しい環境でしたし、ありがたい環境でした。
ただ、その反面・・・
放浪癖という病気が再発しました。
管理職や組織の中でよりも、もっと自由に色々なことをやりたいという思いが出てきたんです。
元々は組織も得意でなければ、出世したり会社を大きくしたいという向上心がある人間でもありません。
でも、会社はどんどんと売上も人も増え、成長をしていきます。
僕はそこにはあまり興味が持てなかったんです。
そんなやつが古参の管理職では、さすがに会社的にもマズイでしょう 笑
新卒で働いた会社を1ヶ月で辞めた時もそうでしたが、僕は一度決めたらその場に留まることができなくなります。
翌日すぐに社長に「退職したいです」と伝え、数ヶ月の引き継ぎの後、独立しました。
今でも仲良くさせていただいていますが、独立を認めてくれ支援してくれた社長と(それを後押ししてくれたらしい)奥様でもある副社長には今でも感謝しています。
ほんと人に恵まれすぎています。
こうして、大した計画もビジョンも野望もなく、個人事業をすっ飛ばしていきなり会社を作りました。
顧客0売上0で請求書も領収書もほとんどないのに、なぜか月5万円近く払って税理士とも顧問契約。
理由は「そういうものだと思っていた」から。無知と若さ(といっても33歳でしたが)の力ってすごいものです。
実は起業してからずっと順調なわけでもなく、すごい危機やトラブルも何度もありました。
集客や売上に苦戦をしたことはもちろんあります。
でも一番キツかったのは、売上が順調な時でした。
数字は上がっている。お客さんも来てくれている。傍から見たら何の問題もない。
でも、朝起きるのが嫌だったんです。
「何のためにビジネスしているんだっけ?」
「何のために起業したんだっけ?」
と、自分の価値観に合わないビジネスのやり方、マーケティングをしていたからです。
あの給食の6年間、就職課でブチギレされた時、もののけの館で手取り11万で過ごしていた時。あの頃の方が、よっぽど自分らしかった。
当時の僕は、「何をやるか(WHAT)」——ノウハウ、テクニック、トレンド、数字——ばかりを追いかけていました。
「なぜやるのか(WHY)」——自分の価値観、大事にしたいもの——が、一切なかったんです。
結局、月1,000万円以上の売上を捨てました。
新卒で入った会社を1ヶ月で辞めた時と、まったく同じです。
価値観に合わないものは、どれだけうまくいっていても手放す。僕はこの選択をまた繰り返しました。
大きな金額です。周りからは「もったいない」と何度も言われました。
でも、自分の価値観に合わないビジネスを続けることの方が、僕にとってはよっぽど大きな損失だったんです。
その後、運良く、ある素晴らしいマーケターに出会えました。
そこで気づいたのは、僕に足りなかったのは新しいノウハウじゃなく、自分の価値観を軸にしたマーケティング。
そして、その価値を使い捨てではなく資産として積み上げていくという発想でした。
その結果、時間は何年もかかりましたが今では・・・
価値観の合うステキなクライアントさんに囲まれ、

未知の新しい事業にチャレンジをしたり、

世界一周など旅しながら仕事をしたり、

沖縄のステキなリトリート施設のオーナーになったり、

その施設にママさんたちを招待して無料でビジネスセミナーを主催したり、京セラドームを貸し切って子どもたちのために無料で運動会を主催したり、

あと開発途上国に学校を作ったり、炊き出しのボランティアをしたり、

ビジネスはもちろん、人生自体も大きく変わっていったんです。
でも、正直に言うと、僕にとって一番うれしかったのは、自由になれたことそのものじゃなかったんです。
自分の価値を発揮して、信頼できるお客さんに「出逢えてよかった」と言ってもらえること。
その人のビジネスや人生が変わっていくのを見られること。これが一番うれしかった。
自分らしく生きた結果、人に喜んでもらえる。
人に喜んでもらえるから、もっと自分の価値を高めたくなる。
この循環が回り出した瞬間が、僕の人生で一番幸せだった瞬間です。
すると、
こういう方が、みるみる変化をしていき、
「働く時間を大きく減らしたのに、最高売上を更新し続けています!」
「料金は競合より全然高いのに質の良いお客さんばかりがきています!」
「お客さんが高い価値を感じてくれて喜んでくれるのでうれしいです!」
「ビジネスがめちゃくちゃ楽しくなりました!」
という報告が毎日のように届くようになりました。
そして、集客や売上が上がり、自分が満たされるのは当然として、
「家族との時間が増えて幸せです。奥さんと家を買う計画を立ててるんです」
「子どもに好きな習い事をさせてあげれるようになって良かったです」
「スタッフに長い休みと高い給料をあげれるようになってうれしいです」
「このサービスをもっと拡めて喜んでくれる人を増やしたいです」
「今のあまり良くない業界の状態を自分たちでぶっ壊して変えていきます!」
という方が続出しました。
この方法を知りたいという人はどんどんと増え続け、毎日のように喜びや感謝の連絡をもらえるようになりました。
本来、僕は目立ったり有名になったり、派手な生活には興味がないので、ひっそりと生きたいと思っているタイプなんですね。
多くの人に憧がれられることも望んでいないですし、グイグイ引っ張るって感じでもないです。
派手じゃなくていい。でも、自分の価値観には正直でいたい。
振り返ると、僕はずっとそう思って生きてきたし、それはこれからも変わりません。
だからこそ、ひっそりと、でも強く持っている情熱があります。
それが・・・
「自分の価値観で生きることが、最強のマーケティングになる」
僕はそう信じています。そしてその信念のもと、価値観型起業家にロマンあふれる人生の主人公になってもらいたいと思っています。
世の中には
「◯◯をやるだけで結果が出る」
「◯◯をやれば楽に儲かる」
「今は◯◯をやらないとダメ」
こういう情報があふれています。
全部「何をやるか(WHAT)」の話です。
なんとかをやれば簡単に儲かるみたいな小手先の情報によって、起業家たちが本来持っていたはずの「ロマン」を失っていっている現実。
これって、「自分」が主人公じゃなくて、情報・ノウハウ・トレンド・競合などの「他」が主人公の状態。
これが僕はめちゃくちゃ歯がゆいんですね。
僕はビジネスとマーケティングをこう考えています。
【ビジネス】人生を豊かにするもの
【マーケティング】人が豊かになる方法の探求
だから、ビジネスは人生を豊かにすることに直結していないと意味がないし、マーケティングは、成功するための道具じゃなく、自分の価値観に正直でいながらちゃんと結果も出すための力だと思っています。
僕はたくさん遠回りをしてきたんですね。
僕は大した野望も目標もあまりないタイプですけど、起業した時やそのすぐ後はビジネスにも人生にも自分なりのロマンがあったんですよね。
「喜んでもらえてめちゃ嬉しいー!」
「大変だけどやりがいがあるなー!」
「成長できそうだからチャレンジだ!」
「たくさん働いてたくさん遊ぼう!」
「ワクワクして楽しい人生を送ろう!」
こんな感情とか状態ですね。
でも僕はWHATばかりを追いかける使い捨てマーケティングで、このロマンをどんどん失いました。
新卒の会社を1ヶ月で辞めた時も、月1,000万円以上のビジネスを捨てた時も、理由はいつも同じでした。価値観に合わないことは続けられない。
ただその後、WHYから始める——自分の価値観を軸にして、それを資産として積み上げていく——という考え方に出会えて、人生が変わりました。
その結果・・・
価値観に合うクライアントさんたちに囲まれ、
一緒に成長できる仲間と過ごし、
世界一周の旅をしながら仕事をし、
公園やキャンプ場を「オフィス」にして好きな場所で働き、
母親を旅行に連れて行ったり、
開発途上国に学校を寄付したり、
毎週スノボや海に行ったり、
ワクワクする新しいビジネスにチャレンジしたりしています。
高級タワマンもハイブランドも全然興味はありません。
でも、自分が大事にしたいこと、日常の幸せを感じながら自分らしく生きること——まさにこれが、子どもの頃から憧れていた人生そのものだって気づいたんです。
でも、一番うれしいのはそこだけじゃありませんでした。
自分の価値を発揮して、信頼できるお客さんに「出逢えてよかった」と言ってもらえること。その人のビジネスや人生が変わっていくのを一緒に見届けられること。
自分らしく生きた結果、人に喜んでもらえる。人に喜んでもらえるから、もっと自分の価値を高めたくなる。この循環こそが、僕にとっての「ロマン」なんです。
だから、過去の僕のようにモヤモヤを抱えている価値観型起業家の人生にロマンをもたらしたいんですね。
自分の価値観に正直に生きながら、その価値で人に喜ばれて、ビジネスも人生もワクワクと喜びに満ちている——そんな起業家が増えれば、楽しい世界になっていくと思ってるからです。
それが僕の情熱です。ひっそりと、ですけどね。
もしあなたの中にも、大事にしたいものがあるなら・・・
派手じゃなくていい。大きくなくていい。でもそれを活かして、自分の価値で人に喜ばれながら、ちゃんと結果を出す方法はあります。
ビジネスも人生も、主人公はあなた自身なんですから。
では、長い時間、ありがとうございました!
